蒼月 【月華抄/時期は未定】



 後をつけられている。
 そのことに気づいたが桔梗は振り返らない。
 ここは市井だ。初めて訪れた者が己の薄い色素に驚き、不躾な視線を向けられるのには慣れている。
 けれどもじろじろと見られては気分は良くない。どうしたものかと考えながら市井を歩いていた桔梗は、その視線がいつもと違うと思った。
 異端を見たときの恐れや不安とは異なる。例えるならば、好奇心にあふれる子供の目だろうか。悪意はない。
 しかし、こちらを穴が開くほど見つめてくる子供はいただろうか。市井の子供たちは顔見知りになった。そうなるとやはり「初めまして」の相手だろう。
 視線は歩く桔梗について回っているようだ。
 物売りの家族と一緒に来た子供だとして、歩き回っても大丈夫なのだろうか。
「……」
 桔梗はゆっくりと歩みを進めながら思案して、すっと横道へと逸れた。すぐさま振り返り、慌てて後を追ってくる相手をその場で待つ。
「!! わぁ!」
 足にぽすんと軽い衝撃。それとともに子供の驚いた声がした。
 尻餅をついた子供は呆然とした表情で桔梗を見上げ、その後青ざめた。
「……」
 桔梗はわずかに眉をひそめ、
「何か用が?」
 低く訊ねた。
 ぶつかってきたのはただの子供ではなかった。丸っこい目が愛らしい男の子ではあった――何らかの術により隠された二本の角がなければ。
「お、おれ」
 子供が勢いよく立ち上がる。背の高さはちょうど桔梗の腰のあたりだ。
「最近ここへ戻ってきて。術者の人に世話になってるって、とーちゃんが言ってたから、おれ会ってみたくなって」
「戻ってきた? とーちゃん?」
 意味不明で聞き返すと、子供はにこっと笑った。
「えっと……とーちゃんは何でも屋で、おれは北の山へ行ってたんだ。桔梗のこと聞いて、会いたくて探したんだ。そしたら、すごーく広い庭のあるお邸で働いてる術者の偉い人が、このままだと誰かに捕まるかもって、お札くれた」
「……」
 簡潔な説明だがだいたいは理解した。桔梗は何ともいえない顔をする。
 何でも屋はよく依頼を受ける鬼の店。
 北の山には鬼など妖が多く住んでいると聞いたことがある。
 広い庭の邸はおそらく内裏。
 そして術者の偉い人は、間違いなく玄翔だ。
 この言いようのない気持ちを言葉にしたいが、それに答えてくれる人はいないから、止めた。
「それで、桔梗んち行ったら、式のひとが『桔梗様は出かけていて、あの方に会うのでしたら準備に手間取っているので足止めをお願いします』って、にっこり言われた」
 準備――?
 桔梗は何かあっただろうかと考えを巡らせるが、覚えはなかった。
「笑ってたけど、あの式のひとなんか怖いねー」
 のんびりとした声で子供らしい毒を吐く。
 思わず苦笑いするが仕方ない。自分で考え動けても、式はやはり作り物なのだ。違和感はどうしても拭えない。
「……足止め、か」
 何をしようとしているのか不明だが、そう言うのならもう少し遅くに帰宅しようか。
「名前は?」
「煌《きら》。煌星のきらだって、とーちゃんが言ってた」
「そう」
 名前の通り輝く笑顔だ。
「じゃあ、煌。しばらく付きあってくれる?」
「うん!」
 そうしてふたりで市井を回る。
 なんだかとてもおかしな状況だと思わなくもないが、悪さをしていないのならば鬼でも手出しはできない。
 市井をぐるりと巡って、桔梗の邸へと向かう。
「おかえりなさいませ」
 ふたりを出迎えたのは瑠璃だ。
「何がなんだかわからないんだけど?」
 桔梗の問いかけにも瑠璃は笑うだけだ。
 寝殿へとうながされた桔梗は目を丸くする。そこに、来客がいた。
「邪魔してるぞー」
 影明がのんびりとした声をあげた。
「おかえりなさいませ、桔梗様」
 玻璃の手伝いをしていた忍はこちらを向いて目を細めた。
「やあ。お邪魔しているよ」
 優雅な仕草でひらりと手を振ったのは高彬だ。
「……。どういうこと?」
 側に控えている瑠璃に訊ねる。
「今夜は月がとても綺麗だとうかがいまして、ならば宴でもと思った次第ですわ」
 そうしたら、今日はご来客が多くて――わたくし腕によりをかけますわ。
 と、気合の入った口調で言い、瑠璃は厨へと去っていった。
「桔梗」
 途方に暮れていると、影明が手招きをしている。
「まだ明るくて月見には早いけど。こういう機会も滅多にないし。折角の綺麗な月、ひとりで見るのはもったいないだろ」
「……うん」
 今夜は今月二度目の満月だ。
 まだ見えぬ月に思いを馳せて、桔梗は空を見上げた。


 滅多にないこの夜に。
 あなたに 幸せが 訪れますように――。

※蒼月(青い月=ブルームーン)。滅多にないことの例え




Copyright(c) 2016 葉月/たまゆらぎ All rights reserved.