たいじや -鏡の月- 17
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「……そこで何をしているのか説明してもらおうか?」
 突然抑揚のない声が聞こえて身体を強張らせた。首を巡らせて見れば、声の主の視線は男にまっすぐ向かっていたのだが、彩華は自分が追い詰められた気分になる。
「んー。浮気中?」
「違う!」
 のほほんとした声の後に慌てふためいた声が続いた。
 男は彩華の身体を膝に抱き抱えたままだ。離れようと、彩華は自身に巻きついている男の片腕を両手でしっかりと掴んで力を込めたが、ぴくりとも動かない。
 ふたりを――否、男を見据える詠の柳眉を逆立てた。
「そんな顔するなよ大将。……久方振りと言うか、初めましてと言うべきか……どちらがいいかな?」
「戯言をぬかすな」
 ひどく静かな声音とは違い、詠の顔は不機嫌そうだ。
「そろそろ放してやれ」
「――了解」
 詠が胡乱げな視線を向けると、男は涼しい顔でそれに応じた。
 身体に絡まっていた腕がするりと解けたのを確認すると、彩華は安堵のため息をもらした。手や服に付着した土埃をぱたぱたと払って立ち上がる。
 詠は少し離れた場所で、じっと立ち止まったままだった。
 彼の元へ行った方がいいのか……と彩華が悩んでいると、詠が優雅な足取りで近づいてきた。
「全部片付いたのか?」
「うん」
 術者の表情をして深く頷きながらも、彩華の内心は不安で一杯だ。
 誇り高い神とその霊気を写し取った存在。こうしてふたり揃うと違いがはっきりとわかる。
 人が惑わされぬように闇夜を照らす柔らかい月の光が詠ならば、もうひとりは闇夜に棲むモノを圧制する、月夜に閃く剣光だ。男の軽い口調でいくらか和らぐが、その目は常に険しさを帯びている。
 詠は眉間の皺を刻んだままだ。何を考えているのかその表情からはうかがえない。断りもなく自身の複製を作られたのだから、月詠は僅かながらも怒りを感じているだろう。たとえそれが複製自らの意志でなくてもだ。
 力の差は五分五分か、本物の月詠が若干上と思われる。一触即発、なんてことにならないか。そうしたら人間の彩華に止めることなど不可能である。
 手と手を取りあって仲良く――とはいかなくても、対立せずに済む方法はないものか。
 彩華の心配をよそに、ふたつの月は無言で睨みあっている。
 沈黙を破ったのは漆黒を身に纏う男だった。
「偽者は消えろと言うならすぐにでも消えるが、そのときは彩に葬ってもらいたいなぁ」
「……はい?」
 緊張感もへったくれもない軽い口調と内容に、彩華が間の抜けた声をあげた。
「なんでよ」
 至極真面目に聞き返してみたが、にやりと笑う男を見て、やっぱり無視すればよかったと後悔する。
「そんなの、男より女の方がいいに決まってるだろう」
 ――心配して損したかもしれない。
 彩華は脱力して深いため息をついた。横目で詠を見れば、彼は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「冗談はそのくらいにしろ」
「まるっきり冗談って訳でもないだろう? オレは月詠がいなければ存在しなかったんだから。生きるも死ぬも、核になった月詠(おまえ)次第だ。オレは要らない複製なんだからさっさと始末すればいい」
 幾分か真剣な眼差しとなった男の言葉を受け、彩華は僅かに顔をひそめた。
「どうでもいいなんて思ってないよ」
 眼差しを真っ直ぐ向けて彩華が言うと、男は鼻を鳴らして笑った。
「なぜそう思う? 荒ぶる魂など常に人界にあったら天変地異が起きかねないぞ?」
 男が腕組みをしてわざとらしくため息を吐いた。お前は大馬鹿か? と男の目が語っている。険を帯びた眼差しは強い威圧感を発していたが、不思議と怖ろしさは感じなかった。
 やっぱり根は優しいのだと、彩華は安堵の笑みを湛えた。
 はっきりとは聞いていないけれど、詠も同じ気持ちだと彩華は思う。でなければ、とっくに排除しているはずだ。以前聞いたように、一度壊して流れ出た霊力を大気に溶かせばいい。方法自体は難しいことではないのだ。だが、気持ちが伴わない。自身が不快だからと排除するのでは、ただのエゴだ。
「荒ぶるって、言い換えれば気丈とか芯が強いとか……強大な生命力でしょ。生命力が衰えたら、そっちの方がよっぽど滅びが早くなると思うけど? そりゃあ、何事も行き過ぎはまずいから、限度はあるけど」
 だからいらない存在じゃない。
 上手く伝わるかどぎまぎしながら彩華は必死に言葉を紡いだ。
「存在する理由が欲しいなら、わたしの手伝いをしてくれるってのは? 月詠尊と、それに準ずるひとの力が借りられるなら心強いもの」
 言ってから、彩華はちょっと調子に乗りすぎたかもしれないと内心焦った。
 だが彼女の真摯な思いは多少なりとも伝わったらしい。男は複雑な表情を浮かべて「だったらもう少し地上に居させてもらおうかな」と呟いた。
 微笑んで頷いた彩華が視線を感じて振り向くと、同じように複雑な表情の詠と目があった。
「なに?」
「相変わらず神遣いが荒いな、と」
 言って苦笑する。その言葉には咎めの色はなかった。
「使えるものは何でも使うわよ。でも必要以上には手は借りない。それに、度を越したら詠が止めてくれるでしょう?」
 神の力に頼りすぎれば人間はあっという間に破滅に向かう。よくわかっているし、嫌われたくはないから、いつも常識外れの言動はしないようにと心に決めているのだ。
 彼に知られたらまたからかわれそうだから、と彩華はその想いは心の中に留めておくことにしたのだった。
「――そうだな」
 若干困った表情の詠を見て、男は人の悪い笑みを浮かべる。
「度量が広いなぁ大将は」
「大将はやめろ。(へつら)われるのは好かん」
 眉間に皺を刻んで詠が吐き捨てた。
「それじゃ主?」
「くどい」
 嫌悪感を露にして詠が睨めつける。心底嫌そうな顔だ。
「詠でいい」
「構わないならそう呼ぶが」
 問いかけに詠が首肯で応じると、男はどこか楽しげな笑いをその口元に浮かべた。まるで悪戯少年のようだと彩華は思う。
「――彩華。こいつに名前付けてやれ」
「わたしが?」
 名前は最初の呪だ。それを人間の自分が付けてもいいのだろうか。
 彩華が訊ねると「むしろその方がいい」と詠が答えた。
「俺が俺を名で縛っても意味がない。詠≠ニいう名前も先の巫女が付けたんだから」
 では下手な名前はつけられない。ならば月に関係したものがいいだろう。
 月の異名を頭に浮かべるが、すべてを(そら)んじるのは無理だった。思いつく限りの言葉を考えて、彩華は悩む。
「じゃあ……月影(つきかげ)
 やがて上目遣いにおずおずと答えた。
 善の力を持った響きがいいだろうと月の光≠フ別名を考えたのだった。
「そのままか」
「感性が弱いな」
 ふたりの男に散々な評価をされて、彩華はややムッとした表情を見せた。
「嫌ならポチかタマ」
「…………オレが悪かった月影がいい」
 彩華の迫力に負けて月影が降参のポーズをとった。そう言いながら見せた表情は楽しげだ。
 つられて笑おうとして、彩華は逆に眉をよせた。吹いた風に髪を乱されて慌てて押さえる。
 冷たい北風を感じて身を縮こませて、
「ねぇ、いつまでもここにいないで移動しない? 寒くなってきた」
 両手を擦りあわせながら提案する。
 調伏で程よく熱を帯びていた身体はとうに冷えきっている。霊力も使ったし、そろそろ暖かい室内で温かいスープでも飲みたい。
 そう思った彩華は、はたっとあること(・・・・)に気がついた。
 同じ性質の存在がふたつ。
「……腹減ったな」
 詠の呟きに、神様にはそんなの関係ないじゃないと突っこむのも忘れて彩華は考える。
「だったらオレも食べたい。詠の記憶でしか知らないから、人間の食事って興味ある」
 ああ、それも存在理由になるかもな、と。
 底抜けに明るい、されど彩華にとっては不吉な響きを持つ月影の声が彼女の耳に届いた。
 どうせなら一生気づかなかった方が幸せだったかもしれない。
「昼はパン食だったから夜は米が食べたいぞ」
「ふぅん? オレはどこでもいいけれど。……ここはどうだ?」
 どこから取り出したのか、月影は遊園地の案内図を手にしていた。
 詠は地図を覗きこんで何やら思い巡らせているようだ。
 こちらも術を使ったおかげでお腹が空いている。だからまず食事に行くのは大賛成なのだ。だがしかし。
「……大食いな居候がひとり増えた……」
 彩華の呟きはふたりの男には届かなかったらしい。これからどうするのかの意見交換が続いている。
 そのやりとりをちらりと見ると、彩華はふたりにはわからないように小さくため息をついた。
 ――いつか友人に言った何気ない言葉が現実となってしまった。
 言霊の力を侮るなかれ。
 澄んだ夜空を見上げながら、彩華はひとり後悔していたのであった――。

- 終 -


最初のプロット段階ではコメディ短編でした(居候二人目登場と考えたら)
書いているうちにシリアス寄りになったので中編に変更
コメディタッチで終われた……かな?




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