たいじや -鏡の月- 16
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 遊園地の外れ。
 アトラクション類から離れた木々の生い茂る場所で、彩華はひとり術の行使をしていた。
 ここからは確認できないが、そろそろ月蝕が始まる頃だろう。だが彩華には自身の力の減少は感じられなかった。以前よりも少しは成長したようだ。
 彩華は一歩引いて相手の出方をうかがった。
 来園者はパレードやアトラクションに夢中になっているから、中心部からかなり離れたここでの作業は他人には気づかれにくい。
 長年の間に綻びが生じてしまった園内に張ってある結界は、昼間のうちに直しておいた。これで園外からの侵入はほとんど防げる。
 問題があるとすれば、よほど強い異形が目をつけて侵入を試みるか、来園者が喧嘩などして負の力が働いてしまったときだ。中で陰の気が発生すると、それは外へ放出できない。術者の張る結界は大半が外からの侵入を防ぐか、すでに中にいる霊体を外へ出さないようにすることしかできないのだ。
 厄介であるが、幸いここは森気(しんき)が満ちているからさほど問題は起きないはずだ。邪悪なモノは少しずつ浄化されるだろう。
 彩華の霊力が妖をなぎ倒した。
「あと、一匹」
 術の行使は疲れる。
 ぜいぜいと息を切らして、彩華は残った妖を見据えた。
 最後に残った妖はなかなか手強かった。結界の中だというのに弱まる気配が感じられない。彩華は顎をひいて腹に力をこめた。
 ――ぐう、と唐突に腹の音が鳴った。
 僅かに顔を赤らめて自身の腹を抑える。
 彩華の様子に、目の前の妖は首をかしげるような仕草をした。相手が人であったなら、今の音はなんでしょう? とでも言いそうだ。
 あと少しというところで気が緩むなんて。
 自分自身を叱咤した彩華は妖に向き直った。
「……さっさとと終わらせなきゃ」
 詠と別れて仕事を開始したのは太陽が完全に沈む少し前だ。見落としがないようにゆっくり園内を回っていたから、あれから二時間はゆうに経過しているはず。そろそろ夕飯の時間帯だ。昼間買い食いをしていたとはいえ、術を使えばそんなものは早々に消化してしまう。
 詠のことだから、あちらはすでに終了しているだろう。この程度の弱い妖に手間取っているなんて自分でも情けないと彩華は思う。
 すべて済ませて彼と合流したら、閉園時間まで遊び倒す。
 次にいつ遊びに来れるのかわからないのだ。そのためには今するべきことを早く終わらせなければならない。
地縛(ちばく)
 気合を入れ直して言霊を紡ぐ。それと同時に起きた強い重力を、足に力を入れてやり過ごす。
 青白い光を放ちながら霊力の縄が地面から生えた。それが妖をがんじがらめに縛りあげると、咆哮のような金切り声があがった。
 鼓膜が圧迫されて彩華は痛みに眉をよせるが、間髪入れずに次の術を繰り出した。
「臨める兵 闘う者 皆 陣烈れて 前に在り」
 霊力の刃となったそれが、命を削り取るために妖に直撃する。
 ぎゃあぎゃあと騒ぎたてる妖の声は思ってた以上に大きかった。彩華はぎくりとして一瞬動きを止めたが、続けざま術を繰り出す。
 妖の腹のあたりから下を消滅させると、刃は雲散霧消した。
 ほっとする間もなく次の術を叩きこむ。だが妖の命を削ることはできなかった。
 火事場の馬鹿力とでもいうように、妖が自身を縛りあげている縄を引きちぎったのだ。その勢いのまま彩華の放った霊力の刃を弾き飛ばす。
 咄嗟に防御の壁を作り出して衝撃を殺すが受け止めきれずに後退する。窪んだ地面に足を取られて彩華はバランスを崩した。
「――っ」
 来ると思った強い衝撃はなかった。
 たたらを踏んだ彩華の身体を、男の腕が優しく抱きとめた。
 こうして助けてくれるのはひとりしかいない。彩華は確信していた。
 反撃を受けた痛みに薄く閉じていた目を開く。
「ありが……」
 そうして驚きに目を見張った。
「このあいだの!」
「なんだ。オレだってわかってくれたのか?」
 あの夜に彩華が一度だけ会った、詠と同じ顔と神気を持つ男が嬉しそうに笑う。
 彩華を横抱きの状態で抱え直すとそのまま腰を屈めた。
「わかるわよ」
 瓜二つだと思っていたが、よくよく見ればこの男の方が目つきが僅かに鋭い。身に纏う気が僅かに険しい。詠も荒々しい部分があるのだが、あちらは滅多に見せない、嵐に似た雰囲気をこの男は常に醸しだしている。
「……月詠の関係じゃなければ、さっさと逃げ出してるわ」
「ふぅん」
 軽い口調で答えながらも、妖を見据える男の鋭い視線が緩まることはない。
 液体が粘ついているような耳障りな音に気づいた彩華は首を巡らせた。
 下半身を失った妖はしぶとく腕だけで移動していた。ずるずると這う音をたてながら、彼女たちへと向かってくる。下腹部から流れ出る妖の体液が、暗闇の中でもはっきりと見て取れる。
 気味の悪い光景に彩華は顔をしかめた。
「いい加減に放してよ。これじゃ仕事にならないじゃない」
「はいはい。遊びはこのくらいにしておきますよ、と。じゃあ……さっさと()ね」
 有無をも言わさぬ命令口調だった。その一言で妖はおろか、草を汚していた体液すらも瞬く間に浄化する。
「――はい終わり」
 言い終わるや否や、男は彩華の顔に唇をよせた。
「ちょ……」
 彩華の額に、目元に、優しく唇を落とした。
 がっしりと身体に腕を回されていて、彩華は身動きすらとれない。
「なにするのよ!」
 渾身の力で押し返すと僅かに男の腕が緩んだ。
「唇は避けてやってんだから、このくらいいいだろう?」
 男はやや不服そうに彩華の唇に指先を当てた。
「よくない!」
「手間賃くらいよこせ」
 相手に横抱きにされたままの体勢で彩華がわめく。再度男を押し返すが、一層強く抱きしめられた彩華は、頭が真っ白になってバタバタと暴れだした。
 男は彼女の気が動揺しているのを楽しんでいるのか、喉をくつくつと鳴らして笑っている。
 こんな状況を彼に見られたら何と言われるか。
 彩華は目を尖らせて男を見ると口を開きかけた。



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