たいじや -天の盃- 終章
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 ある日の昼下がり。
 朝から抜けるような青空が広がっていた。風もなく、穏やかな午後である。
 反して、月詠神社は通常の厳粛な雰囲気とは違い、賑わいをみせていた。
 鳥居から拝殿にかけて人々が列を成している。普段は並ばずともお参りは可能だ。しかし、年末年始と今日この日は別だ。
 列ができているのは拝殿だけではない。授与所もだった。
 拝殿から流れてきた参拝者たちが物珍しそうに授与所の中をうかがっている。
 無理もない。滅多にない光景がそこにあったのだ。
 お馴染みの巫女たちに交じって見慣れない女性がいた。
 彼女は金の髪をひとつに纏め、巫女装束に身を包んでいる。てきぱきと仕事をこなしている姿は、とても初心者とは思えない。ちなみに茶色い髪の彼女のパートナーは、持ち前の体力を活かし裏方に勤しんでいる。
 外の通りには、お祭り時には外せない屋台が連なっていた。ソースの焦げる匂いや明るい声が境内を満たしている。
 本日は毎年恒例の秋季大祭が行われる日であった。農作物の収穫に感謝をして、翌年の豊作を祈念する。
 そのため、月詠神社境内はいつもと違う空気に包まれていた。
 じきに祭神に奉納する舞が始まる。神楽殿の周囲には、始まりを待つ参拝者たちが集まり出していた。

 ところ変わって。
 神社と同じ敷地内に、祭神のための物ではない建物がある。祭祀を行う一族の自宅だ。
 その一室で。若い男女が些細な言い合いをしていた。
 男女はぴったりと寄り添い、傍目からは抱きあっているようにも見える。
 だが様子がおかしい。男女の交わす言葉には睦言めいたものはない。甘い雰囲気すら一切なかった。
「待て。動くな。気が散る」
 言葉は荒っぽいが優しい声音の男と、
「いたっ……まだ?」
 俯き加減で訊ねる、いささか涙声の女。詠と彩華である。
 詠はラフな普段着だが、彩華は違った。いつもの簡易的な巫女姿ではなく、その上に千早ちはやという薄手の衣も身につけている。巫女の正装だ。
「急かすな気が散る」
 ふたたび短く命じて、詠は作業に専念する。彼の指先は自身の胸元に添えられていて、しきりに動いている。
「うまいこと絡んだものだな」
 感心している場合ではないと思った彩華だったが、この状況は自分が招いたことなので黙っている。
 祭の準備に追われて少々疲れたのだろう。さぁそろそろ移動しようとした矢先に、立ち眩みを起こした彩華は、背中から倒れかけた。
 近くにいた詠が咄嗟に抱きとめたのはいいが、そのはずみで彩華の髪が彼のシャツのボタンに絡まってしまったのだった。
 そうして今に至る。
「眩暈は?」
「平気。一時的なものみたい。……盆暮れ正月が一度に来た忙しさ、ってね」
 ヤケになったように呟く彩華に対して冷静な突っ込みが入った。
「暮れと正月は、ほぼ同時にやってくるけどな」
 彩華はじろりと背後に立つ詠を睨む。物言いたげな眼差しだ。
 けれど詠は気にも留めない。彼に背を向けて俯いている彩華の表情は見えないし、彼女が怒ってもたいした脅威ではない。
「取れたぞ」
 ややあって、詠が手を離した。指の隙間から彩華の黒髪が流れ落ちる。
「ありがと」
 彩華は軽くひりつく頭皮を撫でながら礼を言う。
 時計を見やり、慌てて己の髪に手を伸ばす。
 ひとつに纏めていた髪は転びかけた拍子に乱れてしまった。一度ほどいて手早く纏め直す。
 あと十五分ほど時間はあるのだが、巫女装束姿で走って神楽殿へ行くのは見映えがよろしくない。
 最後に足の先から首元まで、着崩れていないか確認する。
「大丈夫……かな」
 自問自答したところで、詠のため息まじりの声が聞こえた。
「……髪飾りが曲がってる」
 弾かれたように頭に手をやる。
「直してやるからこっちへ来い」
 言って、詠は一歩近づく。
 彩華はそれに倣って詠の前に立つと、バツが悪そうな顔をする。
「そんな調子できちんと舞えるのか?」
 髪飾りに手を伸ばしながら詠が呆れた様子で問う。
「舞えるわ」
 即答されて、詠は僅かに目を瞠った。
 自信があるようだ。
「舞自体は何年も前に覚えているし、細かい動きも直ってるし」
 数日前、神社へ来た際に人手が足りないと知ったエリザベートが手伝いを申し出た。
 巫女指導役は有紀たちに任せ、そのおかげで彩華は舞の練習に集中できたのだった。短い期間であったが、指の伸ばし方や神楽鈴を振る角度など、鬼の教官から手厳しい指導を受けた。
 あとは心をこめて精一杯舞うだけ。
 彩華の心持ちが伝わったのか、
「上等」
 詠がにやりと笑う。
「ならばこの月詠を満足させられたら、何か褒美を取らせようぞ」
 芝居がかった口調に笑みをこぼして、彩華は考えを巡らせた。
「じゃあ……ふたりでどこかへ出かけたい。近場でいいんだけど」
「そんなことでいいのか?」
 彩華が頷く。
「遠出は無理だと思うし」
 それに、一緒に過ごせるのならどこでもいいのだ。
 照れ臭そうに笑う彩華の頬がほんのり赤くなっている。
 意味ありげな視線に気づいているのかいないのか。詠は目元を和ませた。
「よし。完璧。行ってこい」
 いささか大袈裟に言う詠にもう一度はにかむと、彩華は玄関先へと向かう。
 外へ出ると、少し離れた場所だというのにここまで賑わいが届いた。
 心地の良いざわめきだ。
 零れるような笑みを浮かべて歩き出す。
 普段よりも慎重な足捌きで進んでいた彩華は、ふいに何かに惹かれるように視線を上げた。
 抜けるような青空の下。
 月詠神社は今日も穏やかな気が満ちている。

- 終 -


『たいじや』シリーズ、これにて一時完結です。
なぜ一時≠ネのかというと、また現代陰陽師の話が書きたくなったときのための保険(笑)
読んでいただきましてありがとうございました。

2011.07.09 葉月 





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