たいじや -天青の夢- 一章 3.呪
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 空が気持ちよく晴れ渡った午後。
 彩華は宮司である父親に呼ばれた。
 神職者が心身を清浄にしたり、術者以外に見せたくないモノを視る為の特殊な場所、祓殿(はらえでん)へと向かう。
 床張りの祓殿は、季節を問わずひんやりとしていた。
 宮司の前に小さな箱が置いてある。
 彩華が向き合う形で正座をすると、宮司は箱の蓋を開けた。行儀よく揃えていた彼女の指がぴくりと動く。
「これ……は……」
 神社へ持ち込まれた小指の爪ほどの石の欠片。
 可愛らしい大きさとは裏腹に、その印象は禍々しい。
 彩華が手をかざすと間に静電気がはしり、軽い痛みに手を引っ込める。石が拒絶している感じだ。
「まだ幼い娘さんが河原で拾ってきたそうなんだが……毎晩泣き喚くようになって、これが原因であろうと持ってこられた」
 宮司の顔には疲労が浮かんでいる。
 暫く姿を見なかったので、祈祷に時間を費やしていたのだろう。
 ――石をじっと視る。
 よくないモノだ。
 呪具として使われたのか、人の念≠ェ色濃く残っている。敏感な者が触れれば気を失うかもしれない。
 邪気は宮司の祝詞であっても完全に浄化していない。この地は神の守る霊力あらたかな聖域だというのに。呪術者は相当な手練だったのだろうか。
 小さな女の子が恐がるのも分かる。外法師の彩華や父親でさえ、可能ならば近づきたくない代物だ。
「保管庫に納めて時々祝詞をあげておくが、お前も様子を見ておくれ」
「はい」

 宮司から石を受け取り、彩華は保管庫へ持っていた。
 ここには神社へ持ち込まれた(いわ)く付きのモノが収められている。
 呪具に使われた刃物、何らかの理由で怨霊が憑いてしまった人形――様々な物がある。完全に浄化するまでここで眠らせているのだ。
 ざっと中の様子を確認すると、保管庫の鍵を厳重にかけた。妖気が外へ漏れないように結界も張ってあるが、鍵は善からぬ事を考え侵入する泥棒対策だ。もっとも、それも月詠尊特製の結界で十分ではあるが、念の為。
 鍵を握り締め、授与所へ戻ろうとした彩華は足を止めた。
(もうこんな時間か……)
 境内はいつの間にか人がまばらになっていた。普段日向ぼっこをしている野良猫は、寝床である本殿床下へ潜ったようだ。
 屋根のカラスが寂しげに鳴く。
 辺りは既に夕暮れ。
 逢魔ヶ時(おうまがとき)
 ――妖たちが活動を始める時間帯だ。

   ◇ ◇ ◇

 ほう、旦那。お目が高い。
 そいつぁ例の呪いの宝石≠ニ呼ばれる一級品さ。
 ごらんよ。綺麗だろう?
 ――なに? 本物か? 勿論だ。
 俺は本物しか扱わないよ。
 ……じゃあ何故お前は死なないのかって? 俺はしがない(・・・・)行商人だからさ。
 呪われてるのは愚王だったり金の亡者だったり。俺には関係ない。
 ……俺が金の亡者だって? たしかにな!
 だが、俺はこうして生きてる。
 お代は――――だ。高いか?
 こぉーんなに小さいが呪い≠フ伝説を除いても、かなりの希少価値はあるぞ。
 旦那が必要ないなら他に売りに行くが……どうする?

   ◇ ◇ ◇

 胸に銀色の毛並みをした仔犬を抱き、彩華はベッドに横になっていた。
 昼間、強い(おもい)にあたり疲れが出た。頭に霧がかかったような状態だ。
 あと数時間経ったら出かけなければならないのに。
 ぺろり、と仔犬が彩華の唇を舐めた。
「くすぐったいよ」
 顔を背ける。
「っっこら!」
「動くな。消毒だ」
 仔犬は、両方の前足で彩華の顎を押さえつけた。
「消毒って……」
 傷なんて一つもない。
「消毒ってより、清めだな。昼間のアレ、大きさのわりに強力だったからな。邪気を浄化できなかった侘びだ」
 もう一度彩華の口元を舐めて、シニカルな笑みを浮かべた。本物の犬には表情筋がないから、傍から見れば物の怪の類と思うに違いない。
 仔犬の正体は詠。
 彩華にはシベリアンハスキーの仔犬にしか見えないが、狼を模写しているらしい。耳が少し尖っている。
「ちょ……っともう大丈夫だよ」
 それでも執拗に追いかけてくる小さな舌に、彩華は顔をしかめた。
 ……こいつ嫌がってるの分かっててやってるな。
 両脇に手を入れ持ち上げる。ぶらーんと四肢を垂らし、先程とはうって変わって、ぴくりとも動かない。まるでヌイグルミだ。
「まったく」
 もう一度胸に抱く。こうしていれば、彼が纏っている神気で浄化などたやすいのに。
 耳の後ろ辺りを撫でると、心地よいのか銀色の尻尾が緩やかに振れた。思わず人間体で想像し、彩華が噴き出した。
「なんだ?」
「わんこの姿になったり人間の姿になったり、面白いなぁ、と思って」
 食いしん坊で、時にこうして仔犬の姿になって――彼が人ならざるものである事を忘れそうだ。
「俺はどちらでもいいんだけどな。お前が『部屋が狭くなる』って言うから」
「だって七畳に二人じゃ狭いじゃない」
 彩華の部屋にはセミシングルのベッドにクローゼット、他に本棚とデスクがある。そこに大人二人では窮屈だ。
 一緒にいるのが当然、と言って聞かないので、彩華の部屋にいる時は大抵変化している。
 その前に男と女だ。
 いくら神の妻≠ニはいえ、彩華にも多少の恥ずかしさはある。
「まぁ、こちらの姿だと密着しやすいしな……」
 胸に顔を埋めている仔犬の両の耳を引っ張った。
「痛いぞ」
助兵衛(すけべえ)め」
 仔犬が駄々をこねるように首を振り、彩華の手から逃れる。
「神に対してなんて事を」
「だって、普段の様子見てると、どーしても神様に思えないんだもの」
「お前に気を使ってやってるんだ」
「分かってるよ」
 きょとん、とした目で彩華を見やる。
「わたしやみんなが対等に話せる存在じゃないって分かってる。荒ぶる神だって言う人もいるけど、本当は優しい神様だって知っている」
「彩華……」
 首筋に顔を埋めるように顔を寄せる。くすぐったさに身じろぎし、彩華が言葉を続ける。
「まぁ、うちの月詠様は結構、傍若無人だと思ってるけどねー。食にうるさいし」
「なにをぅ」
 がばりと顔を上げ、尻尾が立った。
 二人が軽い言い合いをしている間に夜が更けてゆく。



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