たいじや -天青の夢- 一章 5.休日
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 活気のある街中を彩華はのんびりと歩いていた。
 世間は平日なのでさほど込み合ってはいない。ゆっくりと流れる時間を満喫するのに丁度良い。
 今日は公休日で神社の仕事は休みだ。だが、突発的な外法師の仕事が入ってしまえば、すぐに向かわなければならない。
 久しぶりの休みだというのに特にしたい事もなく、彩華は歩行者天国に設置してあるベンチに座った。
 日差しが暖かく気持ちがよい。風もなく過ごしやすい日だ。
 子供が歩きながらアイスクリームを食べているのを見て、そういえばお昼まだだったな、と考える。詠がいれば安めのビュッフェでも行くところなのだが、今日は一人。
 詠は神の仕事(ほんぎょう)らしく、彼女とは別行動である。
 つまらないが、彼の邪魔をする訳にはいかず、一人の休日を楽しむ事にした。

 お気に入りのオープンカフェで少し遅めの昼食を取り、食後のデザートを堪能した彩華は、街行く人の流れに目をやった。
 さて、これからどうしようか。詠がいれば荷物持ちをさせたけれど……。一人なんだし、普段詠が嫌がるお店見てもいいか。
 腕時計を見ると、針は二時半を指している。
 あまり遅くなると帰宅ラッシュに巻き込まれる。それはちょっと嫌だ。かといって、すぐに帰るのは面白くない。
「……そろそろ戻ってるかな……」
 ふと、この近くで店を営んでいる友人の顔が浮かんだ。
 一ヶ月ほど前に彩華が尋ねた時は閉まっていて会えなかった。元々営業日は不定期だから、今日行って会えるとは限らないのだが……。
「行ってみるか」
 カップの中身を飲み干し、彩華は席を立った。
 友人の店は、大通りから少し外れた閑静な場所にある。周りは住宅が立ち並んでいるが緑も多い。そのせいか、都心だというのに空気がとても澄んでいる。
神社(うち)と空気が似てるんだよね)
 深呼吸すると霊力が(みなぎ)る感じがする。森気(しんき)神気(しんき)。まるで駄洒落のようであるが、昔からある法則のひとつだ。同じ発音を持つものは、同じものとして捉える。だから雰囲気も似るのかもしれない。
 軽い足取りで彩華は坂道を登って行く。
「……あ、開いてる」
 古めかしい和風の建物の前で立ち止まるとそう呟いた。
 扉の上にある小さな木製の看板には、墨で『霊石屋(れいせきや)』と書かれている。
 彩華は取っ手に手をかけると手前にひいた。軽い音をたてて扉が開く。外と室内の照明の違いに一瞬目が眩む。
「あら。久しぶりね、彩華」
 真っ白い色無地に、薄紅の羽織を身につけた女性が立っていた。
 艶のある黒髪をたらし、両サイドは後ろで纏め、赤い絹紐で括られている。
「最近忙しくって。休みの日は疲れて一日中引きこもって寝てたんだ」
 彩華の言い方に目元を和ませる。
 女は椅子を勧ると、一度奥へと姿を消した。やがて小さな盆に二つ湯飲みを乗せて戻ってきた。
「ありがとう。麻布都(まふつ)
 麻布都と呼ばれた和装の女が笑みを浮かべた。
 麻布都≠ニいうのは彼女の通り名であるが、彩華は本名を知らない。名前以外にも知らない事は多くある。必要があれば彼女の方から話してくるだろうと、彩華は聞かないでいる。
「今回はどこまで行ってたの?」
「出雲まで。良い瑪瑙が入ったと連絡がきたから」
「ふぅん」
 店内を見回すと、様々な石が並んでいる。原石そのままの物もあれば、アクセサリーに加工された物もある。
 商品の傍には価格と効果の札が置いてある。霊石屋はいわゆるパワーストーンを扱っており、店主は麻布都だ。他に店員はいない。
 訪ねても、毎回客は一人もおらず、経営大丈夫なのかなぁ、と彩華は思っている。だが、神社の参拝客から時折「安価で良く効くパワーストーンを売っている」と霊石屋の評判を聞くので、本当にたまたまなのだろう。
 月詠神社でもパワーストーンの類を扱っている。もちろん、お守りとしてである。
 水晶と瑪瑙の魔除け守である。勾玉の形をしており、若い参拝客に人気がある。長方形の普通のお守りよりも手に取りやすいようだ。
「店主の私が言うのもなんだけれど、女の子って装飾品好きよね」
「んー。お札を身に付けるんじゃ味気ないし……。同じ効果があるなら、わたしも紙一枚より他に価値がある方がいいかな。キラキラ光ってるとか」
 宝石は、古くから魔物を払う護符であった。権力者の墓から多く見つかるのは、魔除け効果とは別に、その輝きに魅せられたからではないか。
 だから欲しがる人が多いんじゃないかな、と彩華は呟いた。
「愛しい彼女にはアクセサリーを贈りましょう≠チてのは、ファッション業界の策略だと思うけどね……」
 バレンタインイベントと一緒で。
「そういえば、時折、恋人同士で来店あるわね」
 頬に手を当て、思い出したのか麻布都が言う。
「いいなぁ。わたしも欲しい」
「彩華も持ってるじゃない。大事な人から貰った、素敵な勾玉の首飾り」
「間違いじゃないけど……」
 思わず顔が赤くなるのを感じた。
「あらあら。ご馳走様」
 見つめられて彩華の心臓がはねる。
 黒曜石の瞳に吸い込まれそうな気がした。同じ女だというのに、この色気の違いはなんだ。
「心配しなくても、彩華は十分色気あるわよ?」
「ちょっと! 心読まないでよ!」
「だって、顔に書いてあるもの。それでは依頼人に付け込まれるわよ。仕事中は無表情でもいいくらい。表情豊かなのは彩華の良い所だし、私も好きだけれどね」
 曇りのない笑顔を向けられ気が削がれた。
 この場に詠がいなかったのは不幸中の幸いか。でなければ「修行不足」と言われたに違いない。
 くすくすと笑う麻布都にバツが悪くなり、彩華は誤魔化すように店内を見回して非売品≠ニ書かれた群青色の首飾りを見つけた。
「綺麗……。ラピスラズリだよね?」
 深い青色に金砂が輝いている。
「ええ。触ってもいいけれど、紐は結んでないから気をつけてね」
 麻布都の言葉に、彩華はそっと手を伸ばした。指が石の一部に触れる――と、軽い静電気がはしった気がして、慌てて引っ込めた。
「呪具……ではないよね?」
「えぇ。装飾品として使用されていた、ただの首飾りよ」
 彩華はもう一度慎重に手を伸ばした。
 ――今度はなにも起きない。
「預かり物でね。曰く付きといえばそうなんだけれど、悪いモノではないのよ」
「そうなんだ」
 その曰く付き≠フ部分に彩華は興味を持ったが、聞かなかった。
 自分宛の仕事でもないのに首を突っ込むのは不躾だ。
 確かにおかしな物ではないようだ。周りを取り巻く空気が淀んでいる感じはするが、霊石屋は清らかな場所だから、やがて浄化するに違いない。
 預かり物ならば個人のプライバシーにも関わる。もしも手助けが必要ならば、自分か他の術者に依頼するだろう。
 そう思うと彩華は、窓から差し込む西日に気付き腕時計を確認する。
「あ……そろそろ帰るね。お茶ごちそうさま」
「ちょっと待って」
 麻布都が再び奥へと姿を消した。戻ってくると、両手には白いビニール袋が二つ。中に四角い箱が入っている。
「これ、お土産」
「ありがと。……でも多くない?」
 種類は違うが合計四箱。
「アルバイトさんのおやつにどうぞ」
「……それでも多いよ」
 休憩時間にひとつずつ食べても一ヶ月は軽く持つ。
「あぁ、一箱はね、詠にあげて。これ」
 麻布都が指差したのは、確かに詠が好みそうな菓子である。
「詠に?」
「他意はないのよ。うまくいけばいいなとは思っているけれど」
「え?」
 彩華が聞き返すと、麻布都はにっこりと笑った。
「彼ってば私のこと大嫌いのようだから、餌付けできないかな? って」
「……餌付け……いやそれは」
 それはない、と言い切れないのが怖い。
 言い澱みつつ彩華は言葉を続けた。
「嫌い、じゃないと思うけど」
「んー。そうね。どちらかというと相性が悪い≠ゥしら。相容れないのは性質だから仕方ないわね」
「どういうこと?」
 訊ねても麻布都はただ笑顔を彩華に向けるだけだった。

「で、貰ってきたのか。……美味い」
 ベッドに寄りかかった男が指についた餡をぺろりと舐めとって言う。
 よほど気に入ったのか、もうひとつ口に放り込んだ。
 その様子を見た彩華は、詠の隣に座ると彼の持っている箱を覗いた。口元に手をあて呻く。
「ところで俺を餌付けできると思ってるのかあいつは」
「説得力ないんですよ月詠尊」
 先ほど夕飯をぺろりと平らげたというのにどういうことか。可能ならば彼の腹を切り裂いて中がどうなっているか確認したいものだ。
 麻布都から貰った箱の中身は、すでに半分消えている。脱力した彩華は深い溜息をついた。
「そのまま嫌いな相手≠ノ餌付けされて飼いならされてしまえっ」
「たわけ。誰が餌付けされるか」
「どーだか。この間参拝に来た女の子にチョコ貰って鼻の下伸ばしてたじゃない。そんなに食べる事が好きなら、うちより裕福な神社にでも移って好きなだけ食べればいいじゃない。巫女の代わりなんて私じゃなくっても、いっっくらでもいるしっ」
 先日から燻っていた想いを一気に捲くしたてた彩華は、一息つくと詠から顔を背けた。
 その様子を見ていた詠は面白そうに目を細める。伸ばした手で彼女の黒髪に指を絡めるが、するりと滑り抜けてゆく。
「なんだ。嫉妬か。――くだらん」
「っ!」
 振り向く寸前に、今度は少し強めに引っ張る。
「や……」
 軽い痛みに驚いた彩華は、自分を引き寄せる力に逆らわず、詠の腕の中に落ちた。そのまま絡みつく両腕から抜け出そうと抗ったが、やがて諦めたのか力を抜く。
 それでも、自由のきく言葉での抵抗は止めない。
「離せばか」
「祭神に悪態つくのはお前くらいだな」
 家族に接するような態度で、と頼まれた宮司ですら多少の配慮はある。詠が呆れたように呟いた。
 目元を和ませている彼の表情は彩華からは見えない。
「お前以外の女はいらない、と言っても信用しないか。難しい女だ」
 耳元で囁く声に一瞬肩を揺らす。
 その言葉は聞こえないふりをして、彼女はきつく目を閉じた。



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