たいじや -天青の夢- 二章 4.誘い 1
  目次 



 麻布都(まふつ)から連絡が入ったのは、ネックレスを預かって一週間ほど経過した頃だった。
 骨董品を扱う、とある行商人が行方不明だという。最近あまりよくない代物を手に入れた、と業界で噂になっていたらしい。
 普段から良い評判は聞かない行商人らしいが、だからといって人の命がかかっているのだから放ってはおけない。
 しかもこれが凶変の予兆だったら一大事だ。
「それで、そいつがいそうな場所って? ――あぁ、そこ、ね。あんまり近づきたくないなぁ……」
 がっくりと肩を落とした拍子に携帯ストラップの鈴が小さな音をたてて揺れた。
 彩華の膝上で丸くなっている仔狼の尻尾がぴんと張る。スピーカー状態にはなっていないが、相手の声が聞こえているようだ。閉じていた目を半分開けて耳を澄ませている。
 少し尖った気を纏わせている仔狼を彩華があやすように優しく撫でた。
 麻布都が答えたのは、街外れにある幽霊ビルと呼ばれている建物だった。
 一応は立ち入り禁止区域になっているが、夏になると肝試しと称して近づく大馬鹿者達がいる。
 別名、異形の巣窟。
 力ある術者が何度も霊を祓い場を清めているが、霊を引きつける磁石でも埋まっているのか、時間とともに元に戻ってしまう。
 ならばさっさと壊してしまえばいいのだが、過去に実行しようとした関係者が相次いで事故にあい、そのままになっている。
「じゃあ、今から行ってくる――うん。早い方がいいでしょ」
 麻布都と二、三言葉を交わすと電話を切る。
 壁時計を見ると午後十一時半を指していた。
「ちょっと避けたい時間だけどね……」
 呪具も扱う行商人がおそらくいる場所は異形の棲処(すみか)
 聞けば聞くほどその行商人は胡散臭くていけ好かないが、我が儘を言ってはいられない。
「詠、仕事行くよ」
「今からか?」
 ぱさ、と不快そうに尻尾を揺らす。
 目の据わった狼は、瞬く間に人間の姿へ変化する。
「そんな自業自得な奴は放っておけ」
「じゃ、準備してくるねー」
 聞こえなかったふりをして彩華は部屋を出た。
 普段の調伏退治では詠が嫌がる事は滅多にない。高村家が、外法師が、出会う前から陰陽道を生業としているのをよく知っているからだ。神であってもそれを抑止する事はしない。たとえ死ぬと分かっていても、だ。
 今回は場所が場所だけに心配しているのだろう。
 わたし一人じゃ自信ないし、月詠尊がいてくれて良かったなぁ。
 心の底からそう思い、彩華は祓殿へと足を運んだ。


 夕方の薄暗い頃が逢魔ヶ時――妖が活動し始める時間ならば、真夜中は丑三つ時――魔物が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する時。
 郊外にある問題の建物は小高い丘の上にある。
 目的地へ辿り着いた二人は顔をしかめた。荒れ果てた、という表現がふさわしい。
 ビルの壁は今にも崩れ落ちそうになっている。
 空に浮かぶ上弦の月はすぐそこに見えるのに、優しい月明かりは地上には届かない。
 周りを囲んでいる草木は手入れする者がおらず荒れ放題。生い茂ってはいるが瑞々しさは一切ない。どす黒い色をした葉がただそこにあるだけだ。晴れた日には彩華たちのいる街全体が見下ろせるはずなのだが、鬱蒼と茂った草木や妖気によって昼間でも視界が遮られてしまうだろう。
 草木のざわめきが二人の鼓膜を震わせる。
 全てが色褪せたこの空間はまさしく異界。
 力弱き者は失神するか気が狂れる。
「あーもう。この一帯俺が一掃した方がいいんじゃないか?」
「やめてよ」
 物騒な事を言う詠をたしなめる。
 それではわたしまで消えてしまうじゃないか。
 一掃、と言うからには手加減なしなのだろう。詠は心底嫌そうな顔をしている。
 眉間に皺を刻んでいるから間違いない、と彩華は思った。
拍手(かしわで)程度じゃ無理だなこれ」
 目の前に広がる闇はただ暗いだけではない。
 この地に集まった異形たちの妖気が固まっているのだ。そのためか、蜃気楼のようにビルが揺らいで見える。
 詠が一度拍手を打つと目の覚めるような音が周囲に響いた。黒い妖気が道をあけるように分かれたが、すぐに闇の壁は元に戻る。
「生意気な」
 再度強めに打つが結果は同じ。
 詠の身体から青白い闘気が立ち上ったのを見て、彩華が慌てて声をかける。
「ちょっと、手加減してよ。ビル壊れたらどうするのよ」
 彩華の言葉にちらりと彼女を見やった詠は、その秀麗な顔に似合わない意地の悪い笑みを浮かべた。
「そんなヘマするか」
「いくら神様でもビル復元なんて無理でしょ?」
 情け容赦なく妖を叩きのめすことはないだろうが、念のため諌める。
 神の霊魂が持つ二つの側面である荒魂(あらみたま)和魂(にぎみたま)。簡単にいえば、荒魂は人々を祟り、和魂は人々に恵みを与える。
 もう十数年も一緒にいるというのに、稀にみせる荒魂にはいつまでも慣れず、彩華は肝を冷やす。天変地異を引き起こすほどの怒りには遭遇した事はないが、それほど荒々しい時もある。
 彩華の心配をよそに詠が緩やかに手を振り下ろす。
 彼の手から放たれた白光は、二人の周りに漂っていた闇を消滅させた。
 その様子に驚いたのか、妖の気配がざっと二人から離れた。遠巻きに様子をうかがっている。鋭い視線が突き刺さるが、襲ってくる気配はない。かといって安心はできないが。
 詠が先導して、慎重にビルへと近づいた。
「結界はなさそうだね」
 立て付けが悪いのかガラス戸はなかなか開かない。ところどころ割れている。廃墟とはいえ壊す訳にもいかずに彩華は苦労して開けようとする。
 見かねた詠が代わって力を込めた。
「こういう時は男に頼れ」
 軋む音とともに今度は難なく開く。
 建物の中は外よりも暗い。ざぁ……と暗闇が動いた。
 その気持ちの悪さに顔を歪めると、彩華はゆっくりと首をめぐらせた。
 建物は三階建て。妖気が色濃いのは一階奥と三階。
 異形相手では夜陰に乗じて攻撃をしかける、といかないのが辛いところだ。
「時間かけない方がいいな。二手に分かれるか」
「うん」
 申し出を心よく了承する。
 調伏に使う符は普段より多く持ってきた。たとえ一時的としても完全浄化は可能。けれどあまり長居はしたくはない。立っているだけで肌がただれそうだ。
 特に妖気の強く感じる一階を詠が、三階を彩華が担当となった。
「じゃあ、気をつけてね」
 ひらりと手を振って、上への階段へ目を向ける。
「彩華、待て」
 歩き始めた彩華は腕を引かれて怪訝な顔をする。
 身を屈めた詠の唇が、額、両の瞼と押し当てられて、彩華は目をしばたたかせた。
「まじないだ」
「……あっそ」
 確かに先ほどよりも視界がはっきりしているが、この場に似合わない行為に素っ気なく返す。
 詠が離れたので踵を返し階段へと歩いていく。途中、浄化の符を貼るのを忘れない。
 壁に焼けた符の残骸を見つけ、やだなぁと呟く。
 瘴気にやられたのだろう。肌が焼けただれるのを想像して身震いすると、彩華は自分用に符を一枚身につけた。
「どこまでもつか分からないけどね……」
 ないよりはマシだ。
 一歩一歩進むたび、靴底が熔けている気がする。
 歩く時にする砂埃の音が、自分の立てる音なのか、異形が這っているのか判断がつかない。
 姿は見えない妖たちが、金属を擦りあわせた不快な音を出して威嚇している。
 廃墟は調伏退治でも滅多に来ないせいか、普段より鼓動が早いと感じた。
 また一枚、壁に符を貼ると、立ち止まった彩華は深呼吸して精神統一する。
風破(ふうは)
 くるりと振り返ると同時に術を発動する。
 短い言霊は力を得て、彩華を襲おうとしていた妖は真っ二つに引き裂かれた。残骸も闇に溶けるように消え去る。
 それを見ていた異形たちの双眸が爛々と煌めいた。赤く血走った眼を外法師に据え、()えた。
 短い言霊は詠唱時間が早い。しかしそのぶん効力は減る。それに、一体ずつ退治するのは時間がかかりすぎるし、術を小出しにすると意外と早く霊力が尽きてしまう。
 辺りをざっと霊視すると、符を一枚取り出す。
 顎を軽く引いて、彩華は腹に力を込めた。
(のぞ)める(つわもの) 闘う者 皆 陣烈れて 前に在り」
 彼女の足元から真っ白い霊力が吹き上がり、風もないのに黒髪が揺れる。
 右手に集まった発光が細長く形を変えた。
 生じた霊気の刃が幾重にも分裂し四方へ放たれる。まばゆい閃光が視界を覆った瞬間、異形の苦しみ悶える叫び声が反響した。
 まぶたの裏に焼きついたような光の残像が落ち着いた頃、彩華はゆっくりと目を開けた。
 一帯に漂っていた妖気は跡形もなく消えうせる。
 先へ進もうと彩華は踵を返したが、違和感を覚えて足を止めた。かすかに音がするのに気がつき足元に目をやる。
 手のひらほどの蜘蛛に似た黒い塊が残っていた。最後の足掻きなのか、靴先に牙をたてている。
 ぱちんと軽く指を鳴らしてそれを退ける。
 ――それっきり何も起こらない。
 壁に浄化の符を貼ると、彩華はその場を後にした。



  目次 


Copyright(c) 2009 葉月/たまゆらぎ All rights reserved.