たいじや -鏡の月- 15
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 空は夜闇に包まれたが、煌びやかなイルミネーションで彩られた遊園地はいまだに活気に溢れている。
 園内の大通りから歓声があがった。かすかにカメラのシャッター音も聞こえてくる。
 電飾で着飾った衣装や飾りつけられたフロート車の行列が近くを通っているらしい。夜のパレードはメインアトラクションのひとつらしく、パレードコースは人ごみで、ここからはほとんど見ることができない。
 背の高いフロート車が見えて、詠は眩しげに目を細めた。
 車に負けないくらい華やかなスタッフが楽しげな音楽にあわせて踊っている。謳い文句どおり光と音で創られたおとぎの世界、と呼ぶにふさわしい。
 詠はパレードから目線を外すと反対方向へ目を向けた。
 少し離れたベンチにカップルが座っていた。女は貧血でも起こしたのか、ぐったりと背もたれに寄りかかり、男の介抱を受けている。
 妖に精気を喰われたのだろう。しかし命に係わるほどではない。しばらく休んでいれば、疲労感は残るだろうが元のように動けるようになる。
 精気を己れの糧とする異形はたいてい力は弱く、人ひとりから吸収する量も多くはない。だがその分複数の人間から摂取することになるから、ある意味厄介ではある。
 瘴気が残っているならば綺麗にできるが、精気を喰われた被害者に直接してやれることは何もない。してやる道理もないし、する気もない。自分が身を置いている一族の血縁ならば話は別だが。
 詠はその場を何食わぬ顔で通り過ぎた。
 一体の妖が浮遊しながら建物へ入ってゆくのが横目に見えて、詠は足を止めた。そうして何か思案するように指を自分の顎に当てる。
 静かに踵を返し、妖の後を追うように歩いてゆく詠の身体から、僅かな光が流れ落ちた。その豆粒ほどの塊がきらきらと輝いている。
 道端で光を放つそれに誘われるように、黒い影がざわざわと集まってきた。人の目には見えず、群がるのは霊力を欲する妖のみだ。
 ひょいと光の欠片を摘みあげ、妖たちは口に放りこんだ。歓喜に身を震わせて、声なき声で咆哮する。妖たちはきょろきょろと辺りを見回した。この甘い蜜のような霊力の塊は、もう落ちていないのかと。
 彼らは周囲を見回し、目当てのものを見つけた妖が、ひゅ、と喉を鳴らした。それに気づいた他の妖たちも同じように鳴くと、一斉に移動を始めた。等間隔で落ちている光の粒を我先にと奪いあいながら進む。
 妖たちは互いに牽制しながら道端の霊力をひとつずつ拾いあげてゆく。
 一歩、また一歩と、少しずつ一匹の妖が侵入した建物へと近づいていった――それが罠だと、妖たちは考えがつかない。
 撒き餌代わりに微量の霊力を与えて妖を集め、一気に片づけようという魂胆だ。
 詠は後方をちらりと見やると、妖が潜りこんだアトラクションへと足を踏み入れた。
 中はあらゆる方面が鏡で覆われたミラーハウスだ。数多(あまた)の鏡を使用した迷路は方向がわかりづらい。鏡の錯覚で一見広く感じるが、実際はかなり狭かった。
 皆パレードに夢中なのか、詠の他に人影はないようだ。外の喧騒とは違い、ミラーハウスの中は静寂に包まれていた。
 迷路を攻略するだけなら壁伝いに進んでいけば、たいていは出口に辿り着くが、今は遊ぶために入ったわけではない。
 先に入った妖の気配を追って、自身は気配を殺して近づく。
 妖の姿を目にとめると、詠は緩慢な動作で手を伸ばした。優しく、されど強引に自分の方へ掴みよせて妖ごと指を握りこむ。抵抗らしいものは一切なく、妖は砂塵へと変化する。詠の指から零れ落ちたそれは、やがて照明を反射しながら大気へと溶けて消えていった。
 一息つく間もなく、詠は後ろを振り返った。ガラスを擦りあわせたような音が、徐々に近づいてくる。同時に感じる異形の気配。
 僅かに口元を緩めて笑う。
 彼の望みどおり餌に釣られた妖たちが寄ってきた。
 待ち受けた瞳が一瞬だけ鋭い光を放った。清冽(せいれつ)な神気がゆるりと動いて妖を取り囲み、優しく包みこむ。
 詠目掛けて歩いていた妖が一斉に立ち止まった。
 事の至大に気づく間もなく、妖たちは月神の霊気とともに霧散した。異形のあげた断末魔さえ飲みこみ、何事もなかったかのように静まり返る。
「さて。これで粗方始末したかな」
 彩華は彼とは別方向から攻めていって、中間地点辺りで合流することになっている。
「……」
 悠然と腕を組み、たったいま目に映ったかのように鏡の己を見つめた。
 数多の鏡に、視界を埋める幾人もの自分が映っている。鏡の設置の仕方なのか、まったく同じ姿もあれば、異様に膨らんで見えるものや、醜く歪んでいるものもある。しかも鏡に映ったそれは、反転作用で逆の行動を取るものだから、別の存在がそこにいるかのようだ。
 しかもここは場所柄窮屈な感じがするのだ。ひどく気の弱い人間がひとりで入ったならば、気味が悪いと震えそうである。敵なしと自負する自分ですら少々不愉快を感じるのだから、ただの人間なら恐怖を覚えることもあるのだろう。
 こつんと鏡を軽く叩くが当然変化はない。付喪神が憑いていれば違うのだろうが、今は妖気の一片も感じられない。
 鏡は目に見えない真実を映し魔を祓うが、時に呪具としても使用される。昔から鏡に関する噂話――怪談話が多いのはこのためだ。
 鏡に映った鏡の中に鏡が映り、その中にまた鏡が映る――鏡の中は無限の空間となり、現実の世界と異世界の境が曖昧になる。そうすると魑魅魍魎(ちみもうりょう)に都合の良い通り道ができてしまう。合わせ鏡は良くないと言われる所以(ゆえん)だ。
 だが悪しき術がかけられているか、付喪神が憑いているかでもしなければ別段気にすることはない。そうでなければこのミラーハウスのように、日常生活で合わせ鏡になっている場所には必ず妖が存在することになってしまう。
 ふと何かに気づいたのか後方を見やり、詠は澄んだ眼差しで遠くを視た。
 いくら障害物があっても彼には関係ない。実際には目に見えなくても、気配を得るのは容易い。特に良く見知った相手であるなら尚更だ。
 詠は訝ってかすかに目を細めた。妖が騒ぎ立てている様子はないが、ミラーハウスに入る前にはなかった違和感がある。
 妖とは違う空気が漂っている。
 なんだこれは、と詠は訝しげに眉をひそめた。
 彼女の傍にとある気配を感じ取り、詠は一瞬目を瞠った。やや呆れたようにため息をつく。
 やがて不機嫌そうに口を開いた。
「本来あるべき場所へと戻ってきたか」
 意志を持った時点で好きに動くのは可能だったはず。神気を纏う者が神社境内へ入れないことはないし、そうすれば自分はもっと早く人界へ戻れたはずなのだ。なのにそうしなかったのは、本体の不在時に混乱を避けるためか、あるいは――。
「……単に観光したかった、などと言い出すんじゃないだろうな」
 ありそうな考えに詠は眉をひそめた。己の気紛れさはよくわかっているのだ。
 ――さっさと帰ってくればいいものを。
 ぼそりと呟いた詠は、彩華と合流すべくミラーハウスの出口を探した。



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